てんかんや様々な精神障害と戦う〜白露の日記〜

てんかん、社会不安障害(対人恐怖症)、境界性パーソナリティ障害、PTSD、自己免疫疾患(経過観察)と戦う19歳です🐣症状や経緯など私の日記が悩みの解決に役立ちますように

精神科に壊された心

こんにちは、白露です。

今回の記事はかけるかな、不安です。

これは私の心が壊れた時のお話です。

 

注意が何点かあります。

1.精神科は怖くも悪いとこでもありません。

2.言葉が強いとこがあるかもしれません。

3.私が感じたことに基づいて書いています。

 

今回の記事はプラスにもマイナスにもなるでしょう。

....それでも私は読んでほしい。

 

精神科に通院してしばらく経ちました。

最初に出たお薬を飲み続け、経過の報告です。

薬は勿論抗うつ剤です。

学校の事、普段の事を聞かれて答えました。

その日はお話して終わり。そんな日が2,3ヶ月続きました。

通院してしばらくたってから、私は少しずつ夜散歩したり部屋の中ではフードを取れたりしました。

学校も保健室や教室に少しならいれるようになりました。

 

このまま良くなるかもしれない。

この時は中学3年。もしかしたら受験もできるかも。

少し光の灯った日々を過ごしていましたが、そんな私の日々は儚くも崩れ去りました。

 

通院して4ヶ月。

光や音、人が怖いのは変わりませんが、心は沈んだ状態で上がることも下がることもなくとても静かに落ち着いた日々でした。

動きたい欲も出てきて学校に行きたいと夜思う日もありました。(朝には行きたくなくなりますが(笑))

ですが少しずつ浮上してく心とは逆に私の体はどんどん不自由になっていきました。

 

最初に出た不調は激しい頭痛と目のチカチカ。

朝起きると全身が激しい運動をした翌日のように酷い筋肉痛みたいになりました。

体を起こすと頭痛が酷くなるので必然的にベッドに寝た状態が長く続きます。

 

数日経つと、上記の症状に加え激しい目眩と腹痛、強い吐き気が加わり日に日に体重が落ち顔は青白くなりました。

また、自分と関わる人との会話を会話したこと自体忘れていたり、よく物を落とすようになりました。

 

すぐに通院している精神科へ。

全ての症状を母に付き添ってもらい先生に伝えました。

....ここからが地獄の始まりでした。

 

気分は落ち着いてきていて、学校にも行きたいのに体が痛くて具合が日に日に悪くなっている。

なにか他の病気なのか、そう聞きました。

すると

気持ちの問題が大きいんじゃないかな!

心は上がってきていても、体がついてこないことはよくあるんだよ。

 

と、言われました。

さらに少し良くなっているのならと薬を変更し、その日の診察は終わりました。

そして薬を取りに行くと新しく試す薬を大量に渡されました。合うかどうかもわからないのに。

通院してる方ならわかる方もいらっしゃるかもしれません。

大きい病院だと医師から薬の説明がないんです。

このくらいの量だとか、どんな効果なのかなど。

酷いとこでは聞いても薬剤師に聞いてと言われます。

 

当たり前かもしれません。

ですが1つだけ、お願いですから気をつけて。

精神科で貰う新薬は2週間分だけなど少ない量を貰ってまた病院に行ってください。

 

この日から両親に不調を訴えても気持ちの問題なんだからと言われ続けるようになりました。

死にたかったです。辛すぎて。

 

新しく変わった薬を1ヶ月飲み続けましたが気分も特に変わらず(いい状態のまま)体だけがどんどん酷くなって行きました。日に日にベッドから出れる時間が短くなっていきます。

 

おかしいと思い精神科の通院の日に

やはり気分は大丈夫なのに体が痛い。苦しい。

なにか他の病気があるんじゃないかと聞いても気持ちの問題だよと言われ、検査もして貰えませんでした。

この日、また新しい薬を出されました。

前のは大量に残っているのに、また同じ量を。

 

月日だけが過ぎていきます。

もう体を起こせません。

遊びたい、勉強したい。

そんな思いで溢れていました。

 

忘れもしない11月。

通院で精神科へ。

この時ようやく検査をしたいとの要望が通り、採血と心電図、起立性調節障害の検査をしました。

....脳波は必要ないと言われました。

 

結果は起立性調節障害

問診も当てはまらず、検査も異常なく、血圧も大丈夫でした。なのに起立性調節障害との診断。

さすがに母もおかしいと思ったらしく検査で異常ないと聞いたところ、先生はこう言いました。

気持ちの問題で体調が悪くなる子にもつけるんですよ。と。

 

....なんですか、それ。

私、頑張ったよ、体沢山痛くて人も怖くて、それでも学校に行きたいから頑張った。どうしてそんなこと言うの?

今でも涙が出ます。泣きながら書いてます。

 

精神科を変えようにももう11月です。

受験が迫っています。精神科にすぐ行ける空きなんてありません。自力でどんな病院に行けばわかるのか調べましたがこの時の私は見つけられませんでした。

それに精神科の先生です。

お医者様の言うことですから、信じました。

 

この時からでしょうか、私はとてもポジティブになっていました

気持ちの問題と言われて変えようと頑張った結果かもしれません。

両親に嫌われたくないと被っていた仮面が変化したのかもしれません。

私の辛いことを感じる部分がおかしくなってきました。

無表情な事が増えました。

 

少し時は進みますが受験をしました。

進学校と呼ばれていた行きたかった高校へ。

だって私普通の学校生活おくれていません。

それに気持ちの問題と言われました。

それなら治ると、頑張れば行けると思ったのです。

嬉しかったですし、楽しみでした。

通い始めてから数日、体の力が抜ける事が増えましたがなんとか通っていました。

笑顔も少しずつ戻りましたが、体はどんどん酷くなっていきました。

 

....5月に私は倒れました。

意識が遠のく程の腹痛と吐き気、全身痛と発熱。痙攣。

運ばれた病院の先生にすぐに脳神経内科に行って欲しいと言われたそうです。私は覚えていません。

 

神経内科に行き、精神科の先生に言っていた症状を伝えるとすぐに脳波をとって欲しいと言われました。

 

診断結果はてんかん

複雑部分発作と、ミオクロニーてんかんを併発していました。

本当は1年ほど前から発症していたようです。

私が精神科でずっと訴えていた症状はてんかんでした。

 

気持ちが溢れて先生に沢山聞きました。

先生は言いずらそうに、でもちゃんと答えてくれました。

 

てんかんで鬱になる人の割合はとても多いので、ちゃんとした精神科医ならまずこの症状が出たら脳波を見ると。

脳波を見ないのは正直ありえない。

さらに抗うつ剤は将来的に体の影響が大きいのでそんなにコロコロ変えていいものじゃないと言われました。

 

治りますかと私が聞いたら先生はこう言いました。

とてもいいずらそうに、でもハッキリと。

 

複雑部分発作を発症してから放置した期間が長すぎた。完治の可能性はとても低いと。

 

私は診察室で泣いていました。

自分で気づかないくらい静かに、先生がティッシュをくれて気づきました。

私の感情はいよいよ壊れました。

 

なぜ、あんなに薬を変えられたの?

数え切れないくらいの薬を取り替えて飲まされました。

なんで脳波の検査をしてくれなかったの?

大きな総合病院です。頼みましたし設備もあります。

てんかんってわかっていたら普通校なんて行かなかった。

治っていたかもしれない病気を生涯背負うことになった。

 

人生で初めて殺意を抱きました。

この後脳神経内科の先生の先生に慣れるまで、信用できるまでとても時間がかかりました。

私はもう精神科に行けません。

 

これが私が精神科に通っていた頃の記憶と、ベッドの上で過ごした中学校生活の記憶です。

 

次は高校での記事を書こうかと思います。

読んでくださりありがとうございました

学校の対応と経過

こんにちは(* ´ ꒳ `* )白露です。

コロナ流行中ですが大丈夫でしょうか?

まあ、この前文書いてる頃は流行する前だったんですけどね(* ´ ꒳ `* )

お体にお気をつけて。

 

今回は周りの反応や学校の事、その頃の私の状態について書いていきます。

 

前回のブログで無事精神科に行ったわけですが....私の中でガラッと変わったなと感じたのは周りの反応です。

 

ちょうど5年前でしょうか。

実はこの頃はまだ精神疾患はあまり今より多くは知られていなかったのです。

今でこそ世間に鬱などは脳の問題。

その人の甘えや気持ちだけの問題じゃないと知られてきましたが、5年前はやはり気持ちの問題の認識や障害者のイメージがとても強かったです。

両親も親戚に鬱とははっきり言わなかったようです。

ただ、腫れ物を扱うようにされてとても辛かったのは覚えています。

 

私は冬休みがあけるまで学校に行けませんでした。

ベットの上で布団を頭まで被り、ずっとずっと暗くしてうずくまっていました。

光が怖いのです。太陽の光は特にダメでした。

母が暗いと気が滅入るからとカーテンを開けてくれましたが、それだけで大パニックです。

泣いて泣いて叫びました。

その後は決まって部屋の布団の中に潜って震えていました。

外にはもちろん出れません。

家族の声など音も怖かったです。

また、部屋が綺麗なのが嫌でわざわざ教科書を地面に並べたりしていました。

 

元々完璧にしなきゃと強迫観念のようなものに追い込まれる性格だったのが原因かもしれません。

(昔は消しゴム1つ忘れただけで頭が真っ白になって泣くほど酷かったです)

 

部屋を散らかした後から自分がおかしく、どうしようもなく醜く感じてそれでも泣きました。

そしてそんな自分が嫌いで、食べるという事がとても汚いことに感じてご飯が食べれなくなりました。

動けもしない、自分今頑張れてないのにご飯は食べるの?と自分を自分で苦しめていました。

 

曖昧な記憶ですが、15日ほどで10キロは体重が落ち、生理も止まり髪が抜けました。

栄養失調ですね。

母いわく当時は顔がげっそりし過ぎてて死ぬんじゃないかと心配していたそうです。

 

薬が効いている感じはありませんでした。

 

この頃私は携帯、スマホ類を持っていなかったのでどんどん周りから孤立していきました。

まあ、携帯を持っていなかったからそう感じましたが持っていても結果は変わらなかったと思います。

怖かったです。

今までできていたのにいきなり出来なくなる。

友達もいなくなるんじゃないか、精神疾患なんて知られたらどう思われるのか。

みんなが普通にできてるのになんで私はできないの?

この頃はそんなことばかり考えていました。

 

なんとか冬休みあけに学校へ。

私の通っていた中学校は1学年1クラスしかない学校でした。

ホームルームでは担任の先生が

「〇〇さんは少し頑張りすぎて、今音とかお話するのが少し苦手です。いつもよりゆっくり話しかけたり、保健室の時はそっとしてね」

と伝えてくれました。

とてもほっとしました。

誰も笑わない、ちゃんと伝えてくれるんだと安心しました。

その後も学校に行った日は先生が常にみてくださって、集会の時など人が多い時にしんどくなりすぎたら目で合図して保健室に連れていってもらってました。

保健室登校も提案され、できる限りのサポートをしてくださいました。

 

どんな学校であれ、共通で言えることはしっかり学校側に伝えることだと思います。

親御さんや代理の方でもかまいません。

先生方も症状や、こんな時どうしたらいいのかなどわからなければ行動できません。

安心して通える環境を作ることが大きな1歩だと思います

 

結論から述べますと私は3分の1程度しか中学校に行けていません。

その理由は長く、少しややこしいのでまた次の記事で書きますね(* ´ ꒳ `* )

今回も読んでくださりありがとうございました。

初めての精神科

こんにちは。白露です(* ˙꒳˙ * )

今日はとてもいい天気です☀️

 

14歳の夏。私は精神科に行きました。

まだ中学生でしたので、総合病院の小児心療内科です。

 

病院につくまでは心臓がとてもドキドキしていました。

車の後ろに寝転んで、母がいるのに止められない涙をバレないようにひっそりと流しながら泣いていました。

私は昔から自分の弱い所を見せるのがとても苦手です。

 

めそめそしても目的地には着いてしまうのです。

心療内科に着きました。

病院に入りまず私を襲ったのは外だという恐怖。

広いです。人が沢山います。

ガヤガヤと色んな音が聞こえ頭が壊れそうです。

イメージとしてはゲームセンターの騒音がいっぺんに自分の頭にそのまま入ってくる感じでしょうか。

帰りたくなりました。(笑)

 

受付を済まし椅子で待ちます。

待つ間も大変でした。

当時私は精神科にいいイメージがありませんでした。

周りの人にどんな目で見られるんだろうと自分の周りで待つ患者さま達の存在に怯えていました。

 

不思議ですね、別に自分が見てもマイナスなイメージなんて抱かないのに、自分が相手に思われるイメージはマイナスしか思い浮かびません。

 

時間によるでしょうが予約をしても予約時間から1時間は待つことが多いです。

なにか気のまぎれるもの、顔や周囲から姿を隠せるブランケットがあってもいいかもしれません。

内装は小児科なだけあって本やキッズスペース、あと端っこに2席程カーテンのかかった席がありました。

 

小一時間待って呼ばれました。

名前を大勢の人の前で呼ばれてプチパニックで泣きそうになりました。

そんなこんなでいざ病室へ。

先生は男の先生。

もし予約時に可能なのであれば先生の性別を安心しやすい方に指定するだけでも変わると思います。

私は女性も男性も怖かったのであまり関係ありませんでしたので特に指定はしませんでした。

 

最初に書いたのはアンケートのようなもの。

とても枚数が多かったので省略すると、

・〇〇の状況で感じる恐怖レベル5段階評価

・これはできるか

・あなたの性格に当てはまるものに丸をつけなさい

系がいくつもあり、その後によくある木のイラスト、人の顔、家のイラストを描くテストをやって終わりです。

 

私はこの時先生に見られているのかと線が震えていました。人に見られながらの作業は今も苦手です。

 

私のこんな事を書いたよ!

はあえて記載しません。

ただ、大丈夫です。どんな事を書いても怒られたり馬鹿にされる事はありません。

 

検査が終わり私に診断されたのは、題名にある通り

・不安障害(対人恐怖症)

パニック障害(進行気味)

でした。

あまり私は診断自体は辛くなかったです。

というか診断はぶっちゃけどうでもよかったです。

診断がどうでも良くなるくらいには精神的に辛いことが多すぎました。

出されたお薬は抗うつ剤です。

少しだけお話をして、話せる状況でもなかったのでこの日は次の予約をして帰りました。

 

....私がこの日1番辛かったのは診断結果でも大勢の人でもありません。

帰りの車での母の言葉です。

母は私に

「お疲れ様。気持ちの問題が大きいと思うから、あまり深く考えずに頑張ろ!」

と言ってくれました。

 

私は死にたくなりました。

 

気持ちの問題って何?私が悪いの?

頑張るって何?私もう頑張ってる。

頑張っても褒めて貰えないのにこれ以上また頑張るの?

苦しいよ、辛かったねって言ってよ。

 

そんな思いでいっぱいになりました。

 

今は勿論母は励ましてくれていたんだとわかります。

ですが精神的に追い込まれてしまった人にはそれは首を締められるような苦痛の言葉なのです。

 

📮___頑張っている方へ✉

 

お疲れ様。

よく頑張ったね。

もう休んでいいのです。

人の人生100年

全てを生きられなくとも今のせいであなたの人生はなくなりません。

少し先のお話ですが私は今周りに大切な人がいます。

今いる友人も、恋人も全てなくなった0からの人達。

大丈夫。諦めないで。

空を見てください、手先だけ外に出してみて

自然をいつもより感じられますよ。

私たちの特権です(* ´ ꒳ `* )

 

📮___支えて下さる方へ✉

 

お疲れ様です。ありがとうございます。

鬱やパニック障害は脳神経の伝達異常です。

神経成分が多く分泌されてしまうのです。

その子の気持ちがどうこうではないのです。

でも、強制的にそのような思考にされて尚頑張っていたのです。

それだけは認めてください。

そして諦めてください。

 

ごめんなさい。

頑張ろうとしました、気持ちを上げようとしました。

でも、出来ません。辛いです。

今まで頑張ってきたのにできない、辛い、苦しい。

全て崩れてしまった。みんななくなってしまう。

今までの私の人生無駄だったの?

そんな思いでいっぱいでした。

周りの身内の方もお辛いのもわかります。

 

でもどうか年単位で治していいと、頑張らないで休んでいいよと言ってください。

本人は上手く言えません。

何も言えない、せっかく優しく言っているのに怒鳴って返されることもあるかもしれない。

 

自分のことでいっぱいなんです、全ての言葉が責めているように聞こえます。

時間しかないのです....。

 

でも時間は必ず変えてくれます。

もう少しだけゆったりさせてください

パニック障害と不安障害と対人恐怖症がこんにちは

こんにちは。白露です。

発病した時の状況を書いていきます。

 

忘れもしない14歳の夏。

私はクラスの人達と合唱コンクールに向けて練習していました。

その日は普通に家を出て、昼休みは友人とバスケをしていました。思い出そうとすると不思議ですね、鮮明に思い出せます。

 

放課後合唱を合わせている時、急に胸がザワザワしました。言葉にしにくいですがとても恐怖を感じました。

私はそのまま何も気にせず歌いました。

すると今まで普通に聞いていた皆の歌声がとても大きく聞こえ、歌い終わった後のおしゃべりは騒音のように頭に響きました。

それだけじゃありません。

皆が各自話している声が全て頭に入って来るのです。正確には自分の必要のない情報を遮断できないのです。

それに続き視線を急に感じました。睨まれているような感じです。

私はその場で泣きました。

心配してくれるクラスメートもさっきまでバスケをしていた友人も怖くて怖くて泣きました。

 

保健室に行き、家に帰り布団に潜りました。

これが私が精神疾患を患った時の始まりです。

初めまして、白露です

初めまして!

ブログ設定が上手くいかなくて3回作り直した白露です(´・ω・`)

ブログを初めて書きます。何から書けばいいのでしょう?

 

とりあえずの自己紹介!!

私は今19歳の高校3年生です🐣

1年遅れて卒業予定です。できるかな(不安)

 

このブログは私の日記です。今私は

てんかん

(複雑部分発作、ミオクロニー発作、脱力発作)

パニック障害

・不安障害

を患っており、今も治っていません。

この他に可能性として

・自己免疫疾患

(全身性エリテマトーデス)

も高い可能性であります。

そんな私の14歳のパニック障害発病から今までの症状や苦しかったこと、経緯などを書いていきます(* ˙꒳˙ * )

精神科の事、学校のこと、何を思うか。

少しでも同じ症状で悩む方、支えていらっしゃる方の心の支えになれますように。