てんかんや様々な精神障害と戦う〜白露の日記〜

てんかん、社会不安障害(対人恐怖症)、境界性パーソナリティ障害、PTSD、自己免疫疾患(経過観察)と戦う19歳です🐣症状や経緯など私の日記が悩みの解決に役立ちますように

学校の対応と経過

こんにちは(* ´ ꒳ `* )白露です。

コロナ流行中ですが大丈夫でしょうか?

まあ、この前文書いてる頃は流行する前だったんですけどね(* ´ ꒳ `* )

お体にお気をつけて。

 

今回は周りの反応や学校の事、その頃の私の状態について書いていきます。

 

前回のブログで無事精神科に行ったわけですが....私の中でガラッと変わったなと感じたのは周りの反応です。

 

ちょうど5年前でしょうか。

実はこの頃はまだ精神疾患はあまり今より多くは知られていなかったのです。

今でこそ世間に鬱などは脳の問題。

その人の甘えや気持ちだけの問題じゃないと知られてきましたが、5年前はやはり気持ちの問題の認識や障害者のイメージがとても強かったです。

両親も親戚に鬱とははっきり言わなかったようです。

ただ、腫れ物を扱うようにされてとても辛かったのは覚えています。

 

私は冬休みがあけるまで学校に行けませんでした。

ベットの上で布団を頭まで被り、ずっとずっと暗くしてうずくまっていました。

光が怖いのです。太陽の光は特にダメでした。

母が暗いと気が滅入るからとカーテンを開けてくれましたが、それだけで大パニックです。

泣いて泣いて叫びました。

その後は決まって部屋の布団の中に潜って震えていました。

外にはもちろん出れません。

家族の声など音も怖かったです。

また、部屋が綺麗なのが嫌でわざわざ教科書を地面に並べたりしていました。

 

元々完璧にしなきゃと強迫観念のようなものに追い込まれる性格だったのが原因かもしれません。

(昔は消しゴム1つ忘れただけで頭が真っ白になって泣くほど酷かったです)

 

部屋を散らかした後から自分がおかしく、どうしようもなく醜く感じてそれでも泣きました。

そしてそんな自分が嫌いで、食べるという事がとても汚いことに感じてご飯が食べれなくなりました。

動けもしない、自分今頑張れてないのにご飯は食べるの?と自分を自分で苦しめていました。

 

曖昧な記憶ですが、15日ほどで10キロは体重が落ち、生理も止まり髪が抜けました。

栄養失調ですね。

母いわく当時は顔がげっそりし過ぎてて死ぬんじゃないかと心配していたそうです。

 

薬が効いている感じはありませんでした。

 

この頃私は携帯、スマホ類を持っていなかったのでどんどん周りから孤立していきました。

まあ、携帯を持っていなかったからそう感じましたが持っていても結果は変わらなかったと思います。

怖かったです。

今までできていたのにいきなり出来なくなる。

友達もいなくなるんじゃないか、精神疾患なんて知られたらどう思われるのか。

みんなが普通にできてるのになんで私はできないの?

この頃はそんなことばかり考えていました。

 

なんとか冬休みあけに学校へ。

私の通っていた中学校は1学年1クラスしかない学校でした。

ホームルームでは担任の先生が

「〇〇さんは少し頑張りすぎて、今音とかお話するのが少し苦手です。いつもよりゆっくり話しかけたり、保健室の時はそっとしてね」

と伝えてくれました。

とてもほっとしました。

誰も笑わない、ちゃんと伝えてくれるんだと安心しました。

その後も学校に行った日は先生が常にみてくださって、集会の時など人が多い時にしんどくなりすぎたら目で合図して保健室に連れていってもらってました。

保健室登校も提案され、できる限りのサポートをしてくださいました。

 

どんな学校であれ、共通で言えることはしっかり学校側に伝えることだと思います。

親御さんや代理の方でもかまいません。

先生方も症状や、こんな時どうしたらいいのかなどわからなければ行動できません。

安心して通える環境を作ることが大きな1歩だと思います

 

結論から述べますと私は3分の1程度しか中学校に行けていません。

その理由は長く、少しややこしいのでまた次の記事で書きますね(* ´ ꒳ `* )

今回も読んでくださりありがとうございました。