精神科に壊された心
こんにちは、白露です。
今回の記事はかけるかな、不安です。
これは私の心が壊れた時のお話です。
注意が何点かあります。
1.精神科は怖くも悪いとこでもありません。
2.言葉が強いとこがあるかもしれません。
3.私が感じたことに基づいて書いています。
今回の記事はプラスにもマイナスにもなるでしょう。
....それでも私は読んでほしい。
精神科に通院してしばらく経ちました。
最初に出たお薬を飲み続け、経過の報告です。
薬は勿論抗うつ剤です。
学校の事、普段の事を聞かれて答えました。
その日はお話して終わり。そんな日が2,3ヶ月続きました。
通院してしばらくたってから、私は少しずつ夜散歩したり部屋の中ではフードを取れたりしました。
学校も保健室や教室に少しならいれるようになりました。
このまま良くなるかもしれない。
この時は中学3年。もしかしたら受験もできるかも。
少し光の灯った日々を過ごしていましたが、そんな私の日々は儚くも崩れ去りました。
通院して4ヶ月。
光や音、人が怖いのは変わりませんが、心は沈んだ状態で上がることも下がることもなくとても静かに落ち着いた日々でした。
動きたい欲も出てきて学校に行きたいと夜思う日もありました。(朝には行きたくなくなりますが(笑))
ですが少しずつ浮上してく心とは逆に私の体はどんどん不自由になっていきました。
最初に出た不調は激しい頭痛と目のチカチカ。
朝起きると全身が激しい運動をした翌日のように酷い筋肉痛みたいになりました。
体を起こすと頭痛が酷くなるので必然的にベッドに寝た状態が長く続きます。
数日経つと、上記の症状に加え激しい目眩と腹痛、強い吐き気が加わり日に日に体重が落ち顔は青白くなりました。
また、自分と関わる人との会話を会話したこと自体忘れていたり、よく物を落とすようになりました。
すぐに通院している精神科へ。
全ての症状を母に付き添ってもらい先生に伝えました。
....ここからが地獄の始まりでした。
気分は落ち着いてきていて、学校にも行きたいのに体が痛くて具合が日に日に悪くなっている。
なにか他の病気なのか、そう聞きました。
すると
気持ちの問題が大きいんじゃないかな!
心は上がってきていても、体がついてこないことはよくあるんだよ。
と、言われました。
さらに少し良くなっているのならと薬を変更し、その日の診察は終わりました。
そして薬を取りに行くと新しく試す薬を大量に渡されました。合うかどうかもわからないのに。
通院してる方ならわかる方もいらっしゃるかもしれません。
大きい病院だと医師から薬の説明がないんです。
このくらいの量だとか、どんな効果なのかなど。
酷いとこでは聞いても薬剤師に聞いてと言われます。
当たり前かもしれません。
ですが1つだけ、お願いですから気をつけて。
精神科で貰う新薬は2週間分だけなど少ない量を貰ってまた病院に行ってください。
この日から両親に不調を訴えても気持ちの問題なんだからと言われ続けるようになりました。
死にたかったです。辛すぎて。
新しく変わった薬を1ヶ月飲み続けましたが気分も特に変わらず(いい状態のまま)体だけがどんどん酷くなって行きました。日に日にベッドから出れる時間が短くなっていきます。
おかしいと思い精神科の通院の日に
やはり気分は大丈夫なのに体が痛い。苦しい。
なにか他の病気があるんじゃないかと聞いても気持ちの問題だよと言われ、検査もして貰えませんでした。
この日、また新しい薬を出されました。
前のは大量に残っているのに、また同じ量を。
月日だけが過ぎていきます。
もう体を起こせません。
遊びたい、勉強したい。
そんな思いで溢れていました。
忘れもしない11月。
通院で精神科へ。
この時ようやく検査をしたいとの要望が通り、採血と心電図、起立性調節障害の検査をしました。
....脳波は必要ないと言われました。
結果は起立性調節障害。
問診も当てはまらず、検査も異常なく、血圧も大丈夫でした。なのに起立性調節障害との診断。
さすがに母もおかしいと思ったらしく検査で異常ないと聞いたところ、先生はこう言いました。
気持ちの問題で体調が悪くなる子にもつけるんですよ。と。
....なんですか、それ。
私、頑張ったよ、体沢山痛くて人も怖くて、それでも学校に行きたいから頑張った。どうしてそんなこと言うの?
今でも涙が出ます。泣きながら書いてます。
精神科を変えようにももう11月です。
受験が迫っています。精神科にすぐ行ける空きなんてありません。自力でどんな病院に行けばわかるのか調べましたがこの時の私は見つけられませんでした。
それに精神科の先生です。
お医者様の言うことですから、信じました。
この時からでしょうか、私はとてもポジティブになっていました
気持ちの問題と言われて変えようと頑張った結果かもしれません。
両親に嫌われたくないと被っていた仮面が変化したのかもしれません。
私の辛いことを感じる部分がおかしくなってきました。
無表情な事が増えました。
少し時は進みますが受験をしました。
進学校と呼ばれていた行きたかった高校へ。
だって私普通の学校生活おくれていません。
それに気持ちの問題と言われました。
それなら治ると、頑張れば行けると思ったのです。
嬉しかったですし、楽しみでした。
通い始めてから数日、体の力が抜ける事が増えましたがなんとか通っていました。
笑顔も少しずつ戻りましたが、体はどんどん酷くなっていきました。
....5月に私は倒れました。
意識が遠のく程の腹痛と吐き気、全身痛と発熱。痙攣。
運ばれた病院の先生にすぐに脳神経内科に行って欲しいと言われたそうです。私は覚えていません。
脳神経内科に行き、精神科の先生に言っていた症状を伝えるとすぐに脳波をとって欲しいと言われました。
診断結果はてんかん。
複雑部分発作と、ミオクロニーてんかんを併発していました。
本当は1年ほど前から発症していたようです。
私が精神科でずっと訴えていた症状はてんかんでした。
気持ちが溢れて先生に沢山聞きました。
先生は言いずらそうに、でもちゃんと答えてくれました。
てんかんで鬱になる人の割合はとても多いので、ちゃんとした精神科医ならまずこの症状が出たら脳波を見ると。
脳波を見ないのは正直ありえない。
さらに抗うつ剤は将来的に体の影響が大きいのでそんなにコロコロ変えていいものじゃないと言われました。
治りますかと私が聞いたら先生はこう言いました。
とてもいいずらそうに、でもハッキリと。
複雑部分発作を発症してから放置した期間が長すぎた。完治の可能性はとても低いと。
私は診察室で泣いていました。
自分で気づかないくらい静かに、先生がティッシュをくれて気づきました。
私の感情はいよいよ壊れました。
なぜ、あんなに薬を変えられたの?
数え切れないくらいの薬を取り替えて飲まされました。
なんで脳波の検査をしてくれなかったの?
大きな総合病院です。頼みましたし設備もあります。
てんかんってわかっていたら普通校なんて行かなかった。
治っていたかもしれない病気を生涯背負うことになった。
人生で初めて殺意を抱きました。
この後脳神経内科の先生の先生に慣れるまで、信用できるまでとても時間がかかりました。
私はもう精神科に行けません。
これが私が精神科に通っていた頃の記憶と、ベッドの上で過ごした中学校生活の記憶です。
次は高校での記事を書こうかと思います。
読んでくださりありがとうございました